荘子
偶然NHKオンデマンドに荘子の特集があったのを見つけたので息抜きに見ていました。「荘子と遊ぶ」の著者、玄侑宗久さんが荘子の思想を紹介し、タレントの伊集院光さんたちと語りあうという番組なんですが、とても面白かった。
僕が荘子の本と出会ったのはいろんなことに行き詰っていた20代後半のころ。どう生きていこうと悩みながらいろんな自己啓発本やらを読み漁っていましたが、そういった本とはまったく違う観点から「生きる」ということを考えた荘子こと荘周の教えやその中の寓話たちには、後ろから頭を殴られるような衝撃がありました。
最近では「感覚」とか「個性」を大事にしようという考えが主流ですが、彼の考えは「自分をなくす」ことから始まります。感覚や個性ってのは自分のフィルターにかかったものだから、当てにならないと。
もちろん人から見た自分も。
彼の寓話の登場人物はおおらかな態度でこう言います。「君が僕をかしこいだとか馬鹿なうそつきだとかというなら、なるほどそうだと思うし、君が僕を牛や鶏だといったならば、自分を牛や鶏だと思っただろうさ。そんなことはどうでもいいことなんだよ。」
忙しくなったり、人とかかわりが多くなると「自分」というものが大きくなってきて。そうすると自分フィルターもより強くかかって「どうしてもこうじゃないといけない!」とか「自分はこんなにがんばってるのに」と人や自分を傷つけてしまいがちですが。
この本を読むと。おいおい、そうじゃないぞ、そんな生き方つまらないぞ。と教えてくれます。
あらためて荘子を掘り下げてみたいと思うのでこのブログでも今後紹介するかもしれません。
さて、心が軽くなったのでなんやかんや溜まってることを終わらせて